![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
||||||||||
![]() |
||||||||||
田園グレースチャペルの連絡先、郵便住所は以下の通りです。集会場の住所と案内図はこちらです。 |
|||||||
Copyright 2004-2007 |
|||||||
Q. いったい、人は何のために生きているのでしょうか?いくら考えてもわかりません。生きる目的について、ご意見を聞かせてください。
A. すべての人に関係のある問題ですね。とても短い質問ですが、避けて通ることはできませんね。しかし実際にはこの質問に的確な答えが出せる人は少ないのではないでしょうか。一人一人が答えを持っていなければならない大きな問題なのに、ほとんどの人は、改めて聞かれると答えに詰まってしまう難問です 。質問から少し離れてしまうかもしれませんが、二つのことを考えてみました。一つは「どうして人間は自分の生きる目的を求めるのだろうか」という問題。もう一つは、「こんなに大切なテーマなのに、どうしてだれもすぐに答えが出せないのか」という問題です。
まず、「人は何のために生きるのか」という疑問が人間の頭をかすめるのには、いろいろな理由があると考えられます。いちばん単純な理由として、「知的な興味から人生の目的について疑問を持つ」ということがあげられます。人生の目的に限らず、「なぜ」「どうして」を連発するのは、人間にはいろいろな事柄を知ろうとする知識欲があるからです。
けれども、実はそれだけではないと思います。そこには、自分の存在価値がどこにあるのか、という問題が深く関わっているのではないでしょうか。社会の中での自分の位置づけや価値というものを、自分なりに納得している人は、それがどんなものであったとしても、「人はなぜ生きるのか」と深く考えることはあまりないかと思います。したがって、人間が人間として扱われていないと感じる環境に生きている人ほど、人生の目的について深く考えるのではないでしょうか。
もう一つ。「人はなぜ生きるのか」という疑問に対して、どうしてだれもが即答できないのか、という問題です。これは、第一の理由と関係している部分があります。つまり、「自分には価値があり幸せだ」と感じている人が、人生の目的について深く考えていないのだとしたら、答えを求められても当然すぐには答えられないはずです。逆に、人はなぜ生きるのかといつも疑問に思っている人は、答えが見つからないので捜し求めているわけですから、答えられないのは当然です。
しかし、世の中には、「そもそも人生に目的などない」と考えている人たちもいるのです。そういう人は、「何をやりたいか」という当面の目的について語ることができたとしても、人間そのものに何らかの目的があるという考えは持たないのです。
いっぽう、「人には何か目的があるはずだ」と考える背景には、人間は偶然に存在するのではなく、ある目的のために存在させられているのだという考え方があります。もし、人間が偶然に存在しているのならば、そこには目的とか意味などありませんから、そもそもこの疑問は疑問として成立しなくなってしまいます。
ここまでお話しすれば、もうおわかりいただけると思いますが、聖書には、人間は神によって創られた存在として描かれています。つまり、聖書の教えには、神の創造された人間には当然、目的があるという前提があるのです。
創世記の中に記されている人間創造の記事によれば、人間には、「地に満ちて地を従わせる。すべての生き物を支配する」という命令が与えられています。素朴なことばで書かれていますが、今でも人間の生きる目的と深く関わっている命令だと私は信じています。神によって創られたほかのすべてのものとの関わりの中で、地に満ちて、すべてのものを神からゆだねられたものとして、管理し治めていくことが求められているのです。この原点が見失われる時に、創られた世界全体のバランスが崩れてしまいます。
さて、神様はこの使命を人間にお与えになった時に、だれか一人の手にすべてをゆだねられたのではなく、一人一人に与えられた才能が、互いに一緒に働く時に、世界を最も美しく治めることができるようにされました。
この使命を人間が正しく果たそうとしない時に、人間は生きる目的を見失ってしまいます。それぞれが、自分だけの目的を達成するためにほかの人の才能を道具としたり、自分の目的に合わない才能をないがしろにしたり、されたりする時、人間はどうして生きているのか、わからなくなってしまうのです。
私は、現実の世界で人間の目的について考えるのは、とても難しいことだとよくわかります。たいていの人は、この世界が神からゆだねられたものであるということを認めませんし、神に向かうべきすべての働きの方向が、人間に向かっているために、人の心はしばしば自己中心的な欲望に支配されてしまっているからです。さらには、一人一人に与えられた才能が人間の欲望実現の道具となったり、その欲望実現に役立たない人間が無視されたりしてるからです。このような世界ですから、生きる目的を見失っている人たちがいるとしても不思議ではありません。
Yさんのご質問の背景には、きっとこの世に対する失望感がおありなんだと思います。けれども、そのような絶望的な世界に、なお神から与えられた使命があることを確信して生きる生き方、一人一人に価値があると信じる生き方、それこそがキリスト者の生き方なのです。
山下 正雄 著「悩んでいないで聞いてみたら?」キリスト教Q&A シリーズ(いのちのことば社)より
・ 人は何のために生きるの?
・ 私は本当に尊いのですか?
・ どんな宗教でも同じではないですか?
・ 聖書は本当に信頼できますか?
・ 「ゴスペル」って何ですか?
・ 神がおられるとどうしてわかりますか?
・ 神様が愛なら、どうして・・・?
・ 宗教を信じるのは弱い人間ですか?
・ 教会で聞く「罪」とは何?
・ 「救い」とは何からの救いですか?
・ 十字架には何か意味があるのですか?
・ 信じるだけで救われるのですか?
・ クリスチャンとはどういう人ですか?
・ クリスチャンになってからどうなる?
・ 教会はどういうところですか?
・ 祈りにはどういう意味がありますか?
・ キリストの復活は事実ですか?
・ 天国は本当にありますか?
みことばの戸が開くと、光が差し込
み・・・ 詩篇119篇130節
あなたが迷っているとき、悩んでいると
き、苦しいとき、こんなときは聖書のこ
の個所を読んでみてください。
・失意のどん底にあるとき
・神が分からなくなったとき
・赦してもらいたいとき
・病気や苦しいとき
・悪に出会ったと感じるとき
・ねたましくなるとき
・我慢できないとき
・愛する者を失ったとき
・やる気を失ったとき
・心の平安を求めたいとき
・順調なとき
・満足できるとき
・よりよい生活を求めるとき
・新しい仕事を始めるとき
・責任ある地位に就いたとき
・結婚したとき
・豊かな人間関係を求めて
・確信がほしいとき
・落ち込んだとき
・うまくいかないとき