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「意義深い最高傑作品」エペソ2:10

皆さん、明けましておめでとうございます。今年は「ねずみ」年ですね。でも、一年という時間はぜんぶ、ねずみにではなく、私達への贈り物として与えられています。2008年を始めるにあたり、神様からの知恵をいただいて、与えられた時間を賢く使っていきたいと思います。

今年の教会の歩みを導くみことばを、祈りながら考えました。そして、エペソ人への手紙2章10節を示されました。一緒に読んでみましょう。

「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」

神様のみことばは、ある時には、私達の真実をうつす鏡のような働きをします。このみことばの真実という鏡の前に、皆さん自身をうつしてみてください。エペソ2:10のみことばには、私達についての3つの真実が示されていると思います。そしてその真実が、今年の歩みの中で、私達を支え導くことでしょう。

1)私は、良い作品です

まず最初の真実は、私は神様の作品だと言うことです。英語の聖書では、Masterpiece, workmanshipという言葉が使われています。傑作、手作り細工の作品という意味です。私の子供のジャスティンは、アーティストの素質がありますが、私にはそういう才能がありません。でも私はいつも、アーティストになりたいと思っていて、高校では美術のクラスをとりました。ある時、ねんど細工の課題が出て、先生が、ねんどで自分の想像する動物を作るようにと言いました。ある生徒は、ねんどの固まりから、翼のついたすばらしいドラゴンを作り出しました。そのドラゴンのおなかは空洞になっていて、そこに小さなろうそくを入れると、ドラゴンのおなか、首を通って、口から煙の出る仕組みになったすばらしい作品でした。一体どこからそんなアイディアが出てくるのでしょう。私もがんばりましたが、私の作品は動物のように見えませんでした。結局私はねんどを細長く丸めて、Mr. and Mrs. Snake、つがいの蛇を作りました。そして残りのねんどで赤ちゃんの蛇を作りました。私にはそれが精一杯でした。でも同じねんどの固まりが、別の人の手によって、すばらしい作品になったのです。

創世記の初めから、すばらしい芸術家である神様のみわざを見ることができます。神様は、ねんどのようなつまらない素材から、人間というすばらしい作品を作りあげる天才芸術家です。「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。(創世記2:7)」天地創造の6日間、その日の終わりには、必ず「神は見て、それを良しとされた。」と書いてあります。特に神様が人間を造られた日には、創世記1:31「見よ。それは非常に良かった。」と書かれました。

あなたは、神様の非常に良い作品です。非常に良い作品は、その作者に栄光をもたらします。私達は、神様の生きた芸術作品です。そして造り主なる神様に、すばらしい栄光をもたらすことができるのです。あなたは神様のイメージをもっています。あなたの存在は、神様の創造のすばらしい力を示すのです。たぶん、毎日の生活の中で、朝起きて鏡にうつる自分を見ても、自分が神様の非常に良い作品だとは思う人はあまりいないでしょう。そして「神様の非常に良い作品」と思って他の人を見る人は、もっと少ないでしょう。私達は、人の失敗や問題を見る方が得意だからです。しかし、私達の見方、感じ方は問題ではありません。私達人間は、外側しか見ていないのです。しかし神様は内側の真実と本質を見ます。そして神様が、あなたや私は、神様の非常に良い作品だと宣言されたのです。

2)私は、良い行ないをする為に造られました。

このことは、この聖句の2番目の真理です。あなたは神様の非常に良い作品です。しかし飾っておく為にではなく、良い行ないをする為に造られました。この使命について、エペソ2:10にこう書いてあります。「良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られた。」

良い行ないをしなければ、神様に愛されない、ということではありません。私が何かしたから、何かしなかったから、ということで、私の罪が赦され、神様の子供になるのではないからです。このことは、エペソ2:8-9を読めば、はっきりと書いてあります。私達は、恵みのゆえに、信仰によって救われました。救いは、完全に神様だけの働きによるものです。神様が、最大の犠牲を払って救いを完成し、求める者には誰にでも、無償で救いを与えてくださいます。救いを得る為に、私達にできることは何もありません。良い行ないは、私達の救いの基盤となる根っこではなく、救いによって結ぶ実なのです。

イエス様は、マタイ5:13で私達に、「地の塩」「世の光」となるように言いました。私達には、暗やみと腐敗のこの世界に、違いをもたらす使命があるのです。あなたの人生の目的を選ぶなら、永遠にこの世界を変える為に、あなたの力、知恵、情熱と賜物を使いたいと思いませんか。神様は、ちょうどその為の機会を、あなたに与えているのです。

ここにとても大切なポイントがあります。それは、エペソ書2:10には「キリスト・イエスにあって」と書いてあることです。私達の行なう良い行ないは、神の御子なるイエス様と私の関係に、第一の基盤をおかなければなりません。私は、「ケビンにあって」ではなく、「キリストにあって」良い行ないをするのです。

イエス様はまた、ヨハネ15:5で「人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからです。」と言われました。長い間、このみことばは、私にとって理解するのが難しいみことばでした。それは、イエス様との関係がなくても、人は、歩いたり、息をしたり、良い行ないができるように思っていたからです。しかし、このみことばの真意を少しずつ理解できるようになって、イエス様は、人間の行ないが結ぶ実ではなく、霊的な実を結ぶということについて語っていることがわかってきました。この違いは何でしょうか。人間の行ないの結ぶ実は、人に栄光をもたらす為のものです。このような行ないは、「あの人は親切でいい人だ」とか、「人間は本当にすばらしい存在だ」と、人に思いを向けさせますが、神様に思いを向けさせません。神様を隠してしまうヒューマニズムの結ぶ実は、みせかけの実なのです。

私達は、霊的な良い行ないをする為に召し出されました。私達の行ないは、人間をよりよく見せる為のものではありません。神様をよりよく見せる為のものです。私達の良い行ないの目的は、神様だけに栄光を帰する為のものです。人にではありません。マタイ5:16に、はっきりと書いてあります。「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」これが、私達が行なうべき、良い行ないです。このような良い行ないをする為に、私達は神様に造られたのです。しかしこの良い行ないは、私達が、神様との関係をまず第一にしなければ、実行することができません。神様にあって、私達は、新しい力、新しい知恵、新しい願い、新しい志を得ることができるのです。第2コリント5:17「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

神様は私達に、自分で自分の行ないを変え、世界を変えることを期待していません。神様が第一に行ないたいことは、私達の心を変えることです。神様によって変えられた心だけが、キリストとの結びつき、聖霊の力によって、神様が計画された良い行ないを実行する志と力に満たされるからです。

3)私は神様の良い計画の一部です。

私は神様によって造られた、非常に良い作品です。私は、良い行ないをする為に造られました。3つめの真実は、これです。私は、神様の良い計画の一部です。エペソ2:10の2つめの文章を一緒に読みましょう。「神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」

多くの人々が、「人生とは、無作為に発生するイベントの積み重ねにすぎない」と考えています。そしてそれは、幸運か悪運のもたらす結果にすぎないのです。しかし、神様のみことばは、まったく違うことを教えています。聖書は、私達の生涯で起こる出来事はみな、無作為に起こるのではなく、神様の完全な知恵によって支配され、理由があると言っています。すべての出来事は、永遠の過去から永遠の未来にわたる神様の計画の一部なのです。そして神様ご自身が、この計画を立て、実行している責任者なのです。

2008年に、神様がご存知ないことは、何一つ起こりません。たとえ私達のおかした罪の結果、また他の人の罪の結果起こることであっても、神様はそれを、神様の良いご計画の中に組み込むことができます。そして私達の益となるように用いていくことができるお方なのです。私達は、この神様のみわざを、完全に理解することができないかもしれません。または、私達が生きている間に、神様の計画の結果を見ることができないかもしれません。しかし、神様のご計画はみんな、私達への愛によって準備され、みわざが進められていることを信じて信頼することができます。エレミヤ29:11「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ。―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

このことを、エペソ2:10に戻って考えてみましょう。私がキリストにあって行なう良い行ないも、実は神様の良い計画の一部なのです。このことは、自分で良い行ないをしようと計画しなければならない、という心配から、私を解放してくれます。私は毎朝起きる時に、「さて、今日はどんな良いことをして、神様に栄光を帰することができるだろうか。」と悩まなくていいのです。それは、私の努力によらなくても、神様が準備してくださっているからです。そして私のなすべき良い行ないを実行する機会を、神様が私に与えてくださるのです。私は、神様の計画と機会の中で、神様が用いるべき人であればよいのです。

私達は、「どんなことをするか」ではなく、「どんな人であるか」に、もっと注意すべきでしょう。ではどんな人が、神様の用いやすい人なのでしょう。それは、罪を告白し、神様に私の人生を明け渡し、日々聖霊様に支配されて歩み、みことばと祈りによって、神様と交わり続ける人です。そのような人だけが、神様のみこころを悟り、神様が必要とされる時、それにこたえて良い行ないができるのです。ですから、神様があなたに良い行ないをするように与えてくださる機会を逃すことがないよう、霊の目を開いて、しっかりと見ましょう。そして神様の計画にゆだねていきましょう。

神様の非常に良い作品であること、神様の備えてくださった良い行ないをする使命、そして神様の良い計画の一部であること。このことは、2008年の歩みの中で、私達が、神様だけに栄光を帰する為に、私達を導き、支え、ためすことでしょう。しかしここで終るのではなく、今日のメッセージの終わりにあたって、今年の年間聖句エペソ2:10について、最後のポイントをお話したいと思います。

このみことばについてのポイントは、あなたについてだけではなく、私達教会についてのみことばであるということです。エペソ人への手紙は、誰か一人の為に書かれたのではなく、エペソの教会全体にあてて書かれました。パウロは、私達は共に、神様の非常に良い作品であり、共に良い行ないをする使命があり、共に神様の良い計画の一部だと言っています。クリスチャンの信仰生活は、一人で歩むのではなく、教会の家族と共に、人々と共に歩むものなのです。

私達田園グレースチャペルは、神様の非常に良い作品、傑作品です。私達は、いつでも傑作品に見えるわけではなく、傑作品のように生きていない、行動していない時もあるでしょう。しかし神様は、神様が与えてくださった本質的な価値ある者として、私達を最高傑作品だと宣言してくださいます。教会として、私達は共に使命を果たさなければなりません。塩一粒、ろうそく一本の光は影響力に限りがあります。しかし、私達が一緒ならば、世の中で大きな影響力を持ち、変化をもたらし、神様に栄光を帰すことができるのです。教会としての私達は、神様の良い計画の一部です。神様は私達一人一人を、教会として意味深く、不思議な方法で導いてくださるでしょう。去年2007年の歩みの中で、誰が私達の教会に来るようになるかを、神様はご存知でした。神様はそれぞれの背景、賜物をご存知です。神様は、今、また将来の教会の必要を知っています。そして、神様がこの教会に送ってくださる人々が、今、教会にいる人々と共に、その賜物と情熱を分かち合って、どのように1つになれるかをご存知です。

そこで私は、今年2008年、神様の栄光の為に、教会として一致して良い行ないに励むことを、皆さんにチャレンジしたいと思います。その基盤となるものは、一人一人が、神様の非常に良い作品、最高傑作品であるという、主にある認識を共に持つことです。この基盤にしっかりと立って、共に生き、共に働き、共に仕え、支え合っていきましょう。私達が教会としてこのように生きる時、神様は、私達を通して、栄光をお受けになるのです。私達自身、そして教会を、神様の意義深い最高傑作品としてささげ、今年も共に歩んでいきましょう。お祈りします。

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