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Baptist Church in Kawasaki  Our Blog

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Meaninglessness 空の空。すべては空。

「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。」
伝道者の書1:2〜3

私が初めてこの聖書の箇所を目にしたのは24歳の時である。聖書は道徳書の類(たぐい)で、元々人格の優れた人が自分の生き方に磨きをかける為の手引き書位にしか、捉えていなかった。そんな私にとって、この伝道者の一節は感銘というより、驚きを与えた。大学受験に失敗するという人生最初の挫折を機に、私の心は虚無感で支配されるようになっていた。人生、どうせ自分の思うようにはならない。それならば何か具体的な目標を掲げたり、あるいは夢を描いてそれに向かって努力するのを止めれば、人生もっと楽に生きられるようになる、と常々感じていた。ただ流されるままに生きることがベストな生き方なのだと考えていた。そんな精神風土の中にいた私にとって、聖書の中に同じ人生観を持つ人がいると知って、驚きというか親近感さえ、覚えるようになった。

「伝道者の書」を読み進めてゆくと、著者であるソロモン王の一生が浮かび上がって来る。当時の私のように、受験に失敗した位で虚無感に陥るというのは、若さ故の甘えとも考えられる。しかし、このソロモン王は、父ダビデが確立したイスラエル王国をその栄華の頂点にまで引き上げたリーダーである。彼は王としての任務を遂行していったばかりでなく、神殿と王宮を建設し、諸外国の財宝を集め、その栄華は諸外国にも鳴り響いた。知恵をきわめ尽くし、詩作に優れた才能を発揮した。また、男性が願うであろう全ての快楽を欲しいままにした。名誉、地位、業績、知識、富、そして快楽と、その全てを手に入れた彼が、「全ては空」と語った。私は彼の背景を知れば知るほど、彼の発している言葉の重さを感じるようになった。  

しかし、「伝道者の書」には見事などんでん返しがある。この書の最後の方に、こう書かれてある。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」(伝道者の書12:1)と。この一節が私の心を貫いた。そして、ここまで読み進めてきて、ようやく著者の言いたいことが分かったような気がした。どんなに成功の道を歩んだとしても、あるいは逆に挫折と見える人生を歩んだとしても、結局、神を無視した人生は虚しいのだと。私がそれまでの人生で、虚しさを感じ続けてきたのは、創造主である神、私を愛し、この世に送り出して下さっている方を知らないで来たからだ、ということに気付かされた。今、振り返ってみると、その時から、私の人生に光が差し始めた。徐々にではあるが、着実に私の人生は変わり始めた。「私を造り、この世に送り出して下さった方がおられる。神様は各々の人間を意図と目的をもってデザインされている。それならば私の人生にも何か果たすべき使命があるはずだ。これからは神様が造って下さった自分自身を発見し、私にしか歩めない人生を歩んでゆこう。」と思うようになった。

あれ以来、ほぼ40年の歳月が流れた。その後の人生が苦労なしに変わったというのではない。職業は変わり、地球上で住む国が変わり、色んな体験を通された、喜びの時、苦しみの時、順風の日、逆境の日、、、私の創造主である神は絶えず私を支え、今日まで導いて下さった。これからの人生についても神様のご計画の全容は見えない。しかし、神様に信頼して、一歩一歩、歩んでゆこうと思っている。

「結局のところ、もう全てが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ、これが人間にとって全てである。」(伝道者の書12:13)

田園グレースチャペル牧師  近藤 泉

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