Sidebar
Menu
Baptist Church in Kawasaki  Our Blog

アクティビティーの紹介、信仰のお話、教会スタッフのおたより
* 私たち教会のFacebookページもご覧ください。

This Beautiful Morning こんな美しい朝に

空には 夜明けとともに
雲雀が鳴き出し
野辺には つゆに濡れて
すみれが咲き匂う

こんな美しい朝に
こんな美しい朝に

主イエスさまは
墓の中から出て来られたのだろう
--  水野源三*



この詩は『瞬きの詩人』と呼ばれた水野源三さんによって書かれたものです。水野さんは幼い頃、赤痢に伴う高熱により脳性麻痺にかかり、それ以来、首から下と言葉の自由を失いました、それ迄、信州の野原を自由に遊び回っていた腕白盛りの少年が、その日を境に、天上を見て毎日を過ごすようになりました。しかし、12歳の時から聖書を読み始め、神様の愛に触れ、クリスチャンとしての新しい人生を歩み始めました。後に、彼は『瞬き』によって意志を家族に伝えるようになり、お母さんは五十音図を使って、一字一字を拾うことができることに気付きました。その時から、彼は意欲的に俳句や詩の創作に励むようになりました。彼の作品には神への感謝と賛美が溢れており、読者の心を慰め、励まし、また生きる希望を与えてくれます。

水野さんは、二千年前のイエス様の復活の朝に思いを馳せ、この詩を書かれました。枯れたと思っていた草木が、春になって再び芽をふくように、十字架に架かって死なれたイエス様は、3日目に墓からよみがえられました。その感動、喜びを私達に伝えたいと思われたのです。

私達の教会では、来る4月20日に、イエス様の復活を祝うイースター礼拝を捧げます。「明日への希望」と題してメッセージが語られます。また、午後2時半からはサックスのコンサートが開かれ、皆様のお馴染みの曲を、ジャズ風にアレンジして演奏します。詳しくは、このチラシをご覧下さい。素晴らしい春のひと時を共に過ごしたいと思いますので、是非、お出かけ下さい。教会員一同、皆様のお越しをお待ちしております。

*『こんな美しい朝に』(いのちのことば社)より

Denen Blog

Why I Was Born 私は何のために生まれたのか

神は言われる。
わたしは裸で生まれた
 
なたが自我を脱ぎ捨てるために。

わたしは貧者に生まれた

あなたがわたしを唯一の富と見なすために

わたしは馬小屋で生まれた

あなたがどんな場所をも聖とするために

神は言われる。
わたしは弱者に生まれた
あなたがわたしを怖がらないように

わたしは愛のために生まれた
あなたがわたしの愛を疑わないように

わたしは夜中に生まれた
わたしがどんな現実でも照らせることを

あなたに知ってもらうために

神は言われる。
わたしは人間として生まれた
あなたが神の子となるために

わたしは被害者に生まれた
あなたが困難を受け入れるために

わたしは質素な者に生まれた

あなたが装飾を捨てるために
神は言われる。わたしはあなたの中に生まれた

あなたをとおしあなたと共に
すべての人を父の家に連れていくために。

I was born naked, Jesus says,

So that you would know how to be stripped of yourself.

I was born poor,

so that you would consider me your only treasure.

I was born in a stable

So that you would learn how to sanctify every environment.


I was born weak, Jesus says

So that you would have no fear of me.

I was born for love

So that you would never doubt my love.

I was born in the night

So that you may believe that I am able to enlighten every reality.


I was born a human, Jesus says,

So that you would never be embarrassed to be yourself.

I was born human

So that you would be able to be divine.

I was born persecuted

So that you would be able to accept difficulties.

I was born in simplicity
so that you would stop being complicated.


I was born in your life, Jesus says,

In order to bring all into my Father’s house!

- written by Lambert Noben
Denen Blog

More Important Than Life いのちより大切なもの


いのちが一番大切だと、思っていたころ
生きるのが苦しかった
いのちより大切なものがあると知った日
生きるのが嬉しかった。(*) 
 
「いのち」よりも大切なものが、この世に存在するのでしょうか、そんな驚きと関心を、この詩は読者に呼び起こしてくれます。この詩を書いた星野富弘さんは「花の詩人」と呼ばれ、口に筆を加えて、花の絵と詩を書かれます。元々、体育教師で、器械運動の模範演技をしていた際に、運悪く転落し、肩より下は全身麻痺という障害を負われました。それ以来、想像できないような悩みと葛藤を通り、また長い訓練の末、口に筆をくわえて自己を表現するという道を見出してゆかれます。こうした作者の背景を理解すると、この詩がより深い意味を帯びて来ます。体育系の青年であった彼が、この障害を受容するのは並大抵なことではなかっただろうと思います。彼にとっての「いのち」は、やはりかつての「健康の身体、動き回ることの出来る自由」ではないかと思われてならないのです。でも、この詩は語っています。「いのち」よりも大切なものを発見したことで、心の中に価値観の転換が起こり、自分の障害を受容する余裕ができたのだと。

星野さんは闘病中に、クリスチャンの方々の訪問を通して、また自ら聖書を読む中で、信仰に目が開かれてゆきます。彼の著書「愛、深き淵より」を読むと、聖書の「労する者、重荷を負う者、我に来たれ」の有名な言葉によって、信仰に導かれたことが分かります。自分の痛み、苦しみを自分のことのように共感し、共に担って下さる方、イエス・キリストのところに行って心に平安がえられたのです。逆に、彼には障害があったからこそ、「いのち」よりも大切なものに出会えたとも言えるでしょう。

私達も星野さん程ではないと思いますが、障害と思えるもの-それが自分の弱さ・限界だったり、他人だったり、状況だったりする-を抱えて生きているのではないでしょうか。しかし、星野さんのように、私達もまたこの「いのち」に触れると、この障害を受容してゆく力が与えられ、場合によっては、それが新たな力の源泉になってゆく可能性さえあると思います。

この「いのち」はイエス様の許にあります。2千年前に馬小屋で生まれた方は、この「いのち」を私達に与える為に、この地上に来られたのです。商業化されたクリスマス、世の人々が忙しさと喧噪の中で過ごすクリスマス。そんな中で、今年こそ教会にきて、じっくりとこの「いのち」について考える、触れてみる機会としませんか。皆さんに、少しでもイエス様のことを知って欲しいと思います。

                         *星野富弘、「いのちより大切なもの」(いのちのことば社、2012)より 

Denen Blog

Share the Good News 福音を伝えよう

「しかし、聖霊があなたがたに臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土、および地の果てまで、わたしの証人となります。」
使徒の働き1:8

イエス様がオリーブ山から天に戻られる時に、弟子たちに伝えられたことばです。イエス様の地上での最期のことばということは、「遺言」であるとも考えられる、それほどに重みのあることばなのです。

この命令に動かされ、最初の弟子達はエルサレムから小アジア、ヨーロッパ全域へ、更に過去二千年の歴史を通して、代々の忠実なクリスチャン達によって、世界中に福音が宣べ伝えられ、日本にも届けられてきました。

あなたはどのようにして福音を聴いたでしょうか。自分一人で祈っていて、あるいは聖書を読んでいて、自然に信じることができたという人に、私は今まで出会ったことがありません。誰かから、何らかの形で「福音」を伝え聞いたのです。イエス様の直弟子からあなたの所まで、長い時間と数多くの人々を経て、バトンタッチされてきた「福音」=「良き訪れ」は、今度はあなたによって伝えられていく必要があるのです。もしも、地球上の全てのクリスチャンが黙してしまうとしたら、これから数十年後に、この地上にイエス様を信じる人は一人もいなくなってしまうでしょう。

イエス様を三度も知らないと否定したペテロ、その彼を通して、福音は伝えられたのです。復活したイエス様に出会い、愛され、取り扱われたペテロ、そして聖霊を受けたペテロは、力強い主の証人と変えられたのです。同じように、主は弱く、欠けのある私たちをも用いようとされています。確かに、聖霊が臨まれる時、私達は力を受けるのです。聖霊の力を受けて、大胆に福音を宣べ伝えていきたいと思います。
Denen Blog

You Loved Us First 神の愛はいつでも

(Scroll down for English)

ある日キルケゴールが書いた祈りを偶然に発見しました。その文章は神のまことの本性とその愛を明白に表わしています。

「ああ神様、あなたは私たちをまず愛してくださいました。私たちはそれを歴史的な観点から考え、神様が私たちをまず愛してくださったということを、過去のある時点から始まったものだと思っています。しかし、神様は私たちをまず愛してくださり、一瞬たりとも休むことなく、一生にわたって瞬間ごとに、愛してくださっています。朝起きて、私たちのたましいが神様に向かうとき、あなたはそこに先に来られて、私たちを先に愛しておられます。朝起きてすぐ、私のたましいが祈りの中で神様の前に出て行くとき、あなたは私よりも先立ってそこにおられ、私を愛しておられます。複数な日常から抜け出し、神様の前に出て行くとき、あなたは先にそこにおられ、また永遠におられます。しかし、私たちは恩知らずにも、神様がただ過去のある時点から私たちを愛してこられたに過ぎないと言うのです。」

私も神の愛を歴史的なものだと、過去に一度あったことだと考えていました。しかし、キルケゴールの祈りは、神の愛は持続的で、いつも現在形で、変わることがないということを教えてくれます。日ごと、瞬間ごとに神は私とともにおられ、先ず私を愛しておられます。

One day I stumbled upon a prayer of Soren Kierkegaard. The words capture the essence of what God's love is really about:

"Father in Heaven! You have loved us first, help us never to forget that You are love so that this sure conviction might triumph in our hearts over the seduction of the world, over the inquietude of the soul, over the anxiety for the future, over the fright of the past, over the distress of the moment. But grant also that this conviction might discipline our soul so that our heart might remain faithful and sincere in the love which we bear to all those whom You have commanded us to love as we love ourselves.

You have loved us first, O God, alas! We speak of it in terms of history as if You have only loved us first but a single time, rather than that without ceasing You have loved us first many things and every day and our whole life through. When we wake up in the morning and turn our soul toward You - You are the first - You have loved us first; if I rise at dawn and at the same second turn my soul toward You in prayer, You are there ahead of me, You have loved me first. When I withdraw from the distractions of the day and turn my soul toward You, You are the first and thus forever. And yet we always speak ungratefully as if You have loved us first only once."

I've often thought of God's love as a past thing that occurred but once. But as Kierkegaard's prayer reminds us, God's love continues on in the present. Every day, every moment, God is right there with us, loving us first.
Denen Blog

Meaninglessness 空の空。すべては空。

「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。」
伝道者の書1:2〜3

私が初めてこの聖書の箇所を目にしたのは24歳の時である。聖書は道徳書の類(たぐい)で、元々人格の優れた人が自分の生き方に磨きをかける為の手引き書位にしか、捉えていなかった。そんな私にとって、この伝道者の一節は感銘というより、驚きを与えた。大学受験に失敗するという人生最初の挫折を機に、私の心は虚無感で支配されるようになっていた。人生、どうせ自分の思うようにはならない。それならば何か具体的な目標を掲げたり、あるいは夢を描いてそれに向かって努力するのを止めれば、人生もっと楽に生きられるようになる、と常々感じていた。ただ流されるままに生きることがベストな生き方なのだと考えていた。そんな精神風土の中にいた私にとって、聖書の中に同じ人生観を持つ人がいると知って、驚きというか親近感さえ、覚えるようになった。

「伝道者の書」を読み進めてゆくと、著者であるソロモン王の一生が浮かび上がって来る。当時の私のように、受験に失敗した位で虚無感に陥るというのは、若さ故の甘えとも考えられる。しかし、このソロモン王は、父ダビデが確立したイスラエル王国をその栄華の頂点にまで引き上げたリーダーである。彼は王としての任務を遂行していったばかりでなく、神殿と王宮を建設し、諸外国の財宝を集め、その栄華は諸外国にも鳴り響いた。知恵をきわめ尽くし、詩作に優れた才能を発揮した。また、男性が願うであろう全ての快楽を欲しいままにした。名誉、地位、業績、知識、富、そして快楽と、その全てを手に入れた彼が、「全ては空」と語った。私は彼の背景を知れば知るほど、彼の発している言葉の重さを感じるようになった。  

しかし、「伝道者の書」には見事などんでん返しがある。この書の最後の方に、こう書かれてある。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」(伝道者の書12:1)と。この一節が私の心を貫いた。そして、ここまで読み進めてきて、ようやく著者の言いたいことが分かったような気がした。どんなに成功の道を歩んだとしても、あるいは逆に挫折と見える人生を歩んだとしても、結局、神を無視した人生は虚しいのだと。私がそれまでの人生で、虚しさを感じ続けてきたのは、創造主である神、私を愛し、この世に送り出して下さっている方を知らないで来たからだ、ということに気付かされた。今、振り返ってみると、その時から、私の人生に光が差し始めた。徐々にではあるが、着実に私の人生は変わり始めた。「私を造り、この世に送り出して下さった方がおられる。神様は各々の人間を意図と目的をもってデザインされている。それならば私の人生にも何か果たすべき使命があるはずだ。これからは神様が造って下さった自分自身を発見し、私にしか歩めない人生を歩んでゆこう。」と思うようになった。

あれ以来、ほぼ40年の歳月が流れた。その後の人生が苦労なしに変わったというのではない。職業は変わり、地球上で住む国が変わり、色んな体験を通された、喜びの時、苦しみの時、順風の日、逆境の日、、、私の創造主である神は絶えず私を支え、今日まで導いて下さった。これからの人生についても神様のご計画の全容は見えない。しかし、神様に信頼して、一歩一歩、歩んでゆこうと思っている。

「結局のところ、もう全てが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ、これが人間にとって全てである。」(伝道者の書12:13)

田園グレースチャペル牧師  近藤 泉

Denen Blog

Save Your Fork フォークを手元に残して

(Scroll down for English)

ある高齢の女性が、病気で余命わずかだという診断を受けました。彼女はそれを受け止め、自分のお葬式の段取りを始めました。牧師と、式のプログラムについて相談していた時、彼女はちょっと変わったリクエストをしたそうです。彼女は言いました。「お官の中に、私の遺体を納める時、私の右手にフォークを持たせるようにしてください。」

それを聞いた牧師は、どういう意味なのかわかりませんでした。すると彼女は、説明を続けました。「私が子どもの頃、お客さんが来てみんなでごちそうを食べた時、最後に必ず誰かがこう言いました。『もっと良いものが、これからやって来る!だからフォークはかたづけないで、手元においておきなさい。』その時の意味は、『食事は終わったけど、これからまだデザートが来るよ。』ということでした。そしてその通り、チョコレートケーキやバニラ・プディング、またアップルパイなど、おいしいデザートが出てきました。病気のことがわかって、私の人生ももう終わりだなと思った時、このことを思い出したんです。『私にとって最高のものは、まだこれからくる。』ということです。私は今、死を待っています。でもこの地上のすべてが終わった時、もっとすばらしいもの、最高のものが私の為に準備されています。だから、右手にフォークを持つことによって、残る家族や友達に、私はこの地上の命を終え、神様が準備してくださっている最高のものを受け取る用意ができている、ということを知らせたいのです。そしてお葬式のメッセージの中で、牧師であるあなたから、集まったみんなに『フォークを手元に残しておきなさい。最高に良いものが、これから来るのだから。』と話してほしいのです。」

この女性は、天国について本当によく理解していました。私達も、もっと理解を深めていくべきです。結婚式の披露宴や、何かのパーティーで、ごちそうを前にフォークを取る時、天国で、小羊の婚礼のパーティーに出る時のことを想像する機会としてみてください。もし神様が、私達にこの世で生きるだけの命、またこの世を生きる為の赦しと力だけを与えておられるなら、この世のことだけ考えていれば十分です。でも神様はあなたに、天国の約束を与えてくださっています。だから、天国についてもっと考えていきましょう。そして天国についてもっと語っていきましょう。天国を約束してくださる神様に感謝して生きましょう。

第2コリント4:18「私達は、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」

An elderly lady was diagnosed with a terminal illness. She began making arrangements for her own funeral. While planning with her pastor, she made an unusual request. She said, “After they place my body in the casket, I want them to put a fork in my right hand.” The pastor was puzzled. She explained, “Since I was a child, whenever we ate a big fancy meal with guests, someone would always say at the end: ‘The best is yet to come. Save your forks.’ I knew that meant that a delicious dessert would be brought out. There would be layered chocolate cake, or vanilla puddings, or juicy apple pies. After I thought everything was done, the best was ready for me. Now I am a dying old lady. But when people see me at my funeral with that fork in my hand, I want them to know that I was ready for the best that God has waiting for me. And I want you to tell them, ‘Save your fork. The best is yet to come.’”

The woman understood heaven. We should, too. What if every time you pick up a fork at a wedding reception you were to stop and think of heaven, and the wedding banquet to come there. Try it. If God only gave us life, forgiveness and strength to live in this world, that would be enough. But God has promised heaven to you, too. Let’s think about it. Let’s talk about it. Let’s thank him for it.

“So we fix our eyes not on what is seen, but on what is unseen. For what is seen is temporary, but what is unseen is eternal.” 2 Corinthians 4:18

Denen Blog

I Love Living! 人生を心から楽しんでいる

(Scroll down for English)

ニック・ブィッチ(写真)はこう言います。「僕は、僕の人生を心から楽しんでいる!」しかし、心から自分の人生を愛している彼は、腕と足のない状態で生まれてきたのです。彼は、その障害に悩み苦しんだのですが、ついに自分の人生の目的を発見し、生きる喜びを得ました。それは、彼の救い主、イエス・キリストによって与えられたのです。田園グレースチャペルでは、先週の礼拝で、彼の信仰の証についてのビデオを見ました。こちらをクリックすると、彼の証を聴くことができます。その信仰と生きる喜びに満ちた証は、あなたの信仰をも励まし、神様への愛を深めてくれることでしょう。

Nick Vujicic says, "I love living life!" Yet, he was born with arms or limbs! He found purpose and joy in living, and that purpose and joy was in his Savior, Jesus Christ. This past Sunday at Denen Grace Chapel, we shared a bit of his video testimony during the morning service. Here it is again for you to listen to and be encouraged in your faith and love for God. [Life Without Limbs]
Denen Blog

Prayer for Peace 平和の祈り



(Scroll down for English)

主よ、あなたの平和をもたらす道具として、私をお使いくだい
憎しみのあるところには、愛を
不当な扱いのあるところには、一致を
疑惑のあるところには、信仰を
誤っているところには、真理を
絶望のあるところには、希望を
暗闇には、光を
悲しみのあるところには、喜びを
もっていくことができますように

慰められることを求めるよりは、慰めることを
理解されることよりは、理解することを
愛されるよりは、愛することを
求める心をお与えください

私たちは自分を忘れ去ることによって、自分を見いだし
許すことによって、許され
死ぬことによって、永遠の命をいただくのですから

-- アッシジの聖フランチェスコ

Lord, make me an instrument of your peace.
Where there is hatred, let me sow love.
Where there is injury, pardon.
Where there is doubt, faith.
Where there is despair, hope.
Where there is darkness, light.
Where there is sadness, joy.
O Divine Master,
grant that I may not so much seek to be consoled, as to console;
to be understood, as to understand;
to be loved, as to love.
For it is in giving that we receive.
It is in pardoning that we are pardoned,
and it is in dying that we are born to Eternal Life.
Amen.

-- St. Francis of Assisi
Denen Blog

The Auction ある美術収集家の話


(Scroll down for English)

何年も前のこと、あるところに大変なお金持ちがいました。彼とその一人息子は美術品の収集に大変な情熱を傾けていました。彼らは一緒に世界中を旅しては最高級の美術品を見つけ、自分たちのコレクションに加えていました。彼らの邸宅にはピカソ、ゴッホ、モネ、などなど数多くの高価な絵画が飾られていました。

このお金持ちは妻をすでに亡くしていましたが、彼の一人息子が経験豊かな美術品収集家として立派に成長していることをとても満足に思っていました。息子の美術品を見る目、そしてビジネスマンとしての鋭い才覚は、父親にとっての何よりの誇りでした。

しかし冬が近づいてきたある日のこと、当時別の国で起こっていた戦争に彼らの国も巻き込まれ、息子も召兵され出征していきました。そしてわずか数週間ののち、父は戦場から一通の電報を受取りました。最愛の息子が消息不明になっているというのです。父はもう二度と息子に会えないのではないかという恐怖の不安の中、さらなる知らせが入るのを待ちました。

その数日後、父の不安は現実のものとなりました。彼の息子は、怪我をした仲間を救出している最中に、敵に撃たれその命を落としたのです。悲しみと孤独の苦悩に打ちひしがれるなか、老人はクリスマスの季節を迎えようとしていました。老人とその息子があれほどまでに楽しみにしていた喜びの季節は、もはや彼にとっては喜びの季節ではありませんでした。

クリスマスの朝、悲しみに憔悴した老人は玄関のドアを叩く音で目をさましました。彼が玄関へと歩いていくなか、家中に飾ってある数々の素晴しい絵画は、それらを共に収集した愛する息子はもはや彼のもとへは帰ってこないということを老人に思い出させるだけでした。

彼が玄関の戸を開けると、そこには大きな包みを手にした兵隊が立っていました。その兵隊は言いました。「私はあなたの息子さんの友人です。むすこさんは私を助けている時に撃たれて亡くなったのです。少しお邪魔させていただいてよろしですか? お見せしたいものがあるのです」彼は中に入ると、老人の息子はいつも仲間の兵たちに自分の父がいかに美術品を愛しているかを話していたものだったと伝えた。

「私は画家なのです」兵隊は言った。「そしてあなたにこれを差し上げたいのです」差し出された包みを老人が開けると、そこには息子の肖像画があった。決して天才の描いた作品だとはいえなかったが、その絵は細部にいたるまで息子に非常によく似ていた。突き上げてくる感情を抑えつつ、老人は兵隊に礼をいい、暖炉の上にその絵を飾ることを約束した。兵隊が帰ると、老人は早速それまで暖炉の上に飾られていた数千ドル相当の絵画をわきにずらし、息子の肖像画をそこへ飾った。そして椅子に深く腰をおろし、その贈り物をじっと見つめつつ、クリスマスの日を過ごした。

次の年の春、老人は病に倒れ亡くなった。この世界的美術収集家が亡くなった今、一人息子もすでに世を去っていて、いったい誰がこの素晴しい絵画の数々を手中に収めることになるのかと美術界の関係者は沸き立った。これらはみなオークションにかけられるのである。

老人の遺言で、オークションはクリスマスの日にもたれることになった。オークションの日は間もなくやってきた。最高級の絵画を競り落とさんと、世界中から収集家や資産家が集まった。

しかし、オークションはどの美術館のリストにも挙げられていない絵から始まった。それは老人の息子の肖像画であった。競売人は初めの付け値をいくらにするか尋ねた。部屋は静まった。「誰か100ドルから始める人はいますか?」沈黙が流れた。誰も口を開くものはいなかった。ふいに部屋の後ろの方から誰かが叫んだ、「そんな絵なんかどうだっていいじゃないか! ただの息子の肖像画だろう? そんなのはほっといて、お目当ての絵にすすもうぜ!」そうだそうだと皆が同調した。

「いや、この絵から始めなくちゃいけないんですよ。」競売人は答えた。「さあ、誰かこの息子を欲しい人はいますか?」

「10ドルでもいいですか?」 部屋の後ろから声がした。皆が振り向くと、そこにはみすぼらしい身なりの男が立っていた。それは、この盛大な競売の様子を後ろの扉の影から覗いていた近所の男だった。「坊ちゃんにはいろいろ世話になっていたんです。本当ならもっと高い金額を出したいところですが、残念ながら、今の私にはこれしか出せなくて…」

「10ドルですね。では誰か、この絵に10ドル以上の値をつける人はいますか?」しばらくの沈黙のあと競売人は言った、「誰かいませんか? いませんね? はい、それでは10ドルで売れました!」競売のつちの音が鳴った。人々の喝采が部屋に響きわたるなか、誰かが叫んだ。「さぁこれで片がついた。これからが本物の宝のおでましだ!」

しかし、競売人は皆にむかってオークションは終わったと告げた。人々はとても信じられないという様子で押し黙った。そしてついに誰かが尋ねた。「終わったって? 一体それはどういうことだい? 僕たちはおやじさんの息子の絵のためにここへ集まってきたんじゃないぜ。それ以外の他の絵はどうなってるんだよ? 何百万ドル相当の芸術品がここにはあるんだろう? それを出してくれないのかい? 説明してくれよ!」

競売人は答えた。「それは簡単なことです。父の遺言によると、誰であれ、彼の息子を受け取る人が父の持つすべてのものを受け取るのです」


A wealthy man and his son loved to collect rare works of art. They had everything in their collection, from Picasso to Raphael. They would often sit together and admire the great works of art. When a war broke out, the son went to war. He was very courageous and died in battle while rescuing another soldier. The father was notified and grieved deeply for his only son.

About a month later there was a knock at the door. A young man stood at the door with a large package in his hands. He said, “Sir, you don’t know me, but I am the soldier for whom your son gave his life. He saved many lives that day, and he was carrying me to safety when a bullet struck him in the heart and he died instantly. He often talked about you, and your love for art.” The young man held out this package. “I know this ! isn’t much. I’m not really a great artist, but I think your son would have wanted you to have this.” The father opened the package. It was a portrait of his son, painted by the young man. He stared in awe at the way the soldier had captured the personality of his son in the painting. The father was so drawn to the eyes that his own eyes welled up with tears. He thanked the young man and offered to pay him for the picture. “Oh, no sir, I could never repay what your son did for me. It’s a gift.”

The father hung the portrait over his mantle. Every time visitors came to his home he took them to see the portrait of his son before he showed them any of the other great works he had collected. The man died a ! few months later. There was to be a great auction of his paintings. Many influential people gathered, excited over seeing the great paintings and having an opportunity to purchase one for their collection. On the platform sat the painting of the son. The auctioneer pounded his gavel. “We will start the bidding with this picture of the son. Who will bid for this picture?” There was silence. Then a voice in the back of the room shouted, “We want to see the famous paintings. Skip this one.” But the auctioneer persisted. “Will somebody bid for this painting. Who will start the bidding? $100, $200?”

Another voice angrily. “We didn’t come to see this painting. We came to see the Van Goghs, the Rembrandts. Get on with the real bids!” But still the auctioneer continued. “The son! The son! Who’ll take the son?” Finally, a voice came from the very back of the room. It was the longtime gardener of the man and his son. “I’ll give $10 for the painting.” Being a poor man, it was all he could afford. “We have $10, who will bid $20?” “Give it to him for $10. Let’s see the masters.” “$10 is the bid, won’t someone bid $20?” The crowd was becoming angry. They didn’t want the picture of the son. They wanted the more worthy investments for their collections. The auctioneer pounded the gavel. “Going once, twice, SOLD for $10!” A man sitting on the second row shouted, “Now let’s get on with the collection!” The auctioneer laid down his gavel. “I’m sorry, the auction is over.” “What about the! paintings?” “I am sorry. When I was called to conduct this auction, I was told of a secret stipulation in the will. I was not allowed to reveal that stipulation until this time. Only the painting of the son would be auctioned. Whoever bought that painting would inherit the entire estate, including the paintings. The man who took the son gets everything!”

God gave His son 2,000 years ago to die for us. Much like the auctioneer, His message today is: “The son, the son, who’ll take the son?” Because, you see, whoever takes the Son gets everything. "For God so loved the world that he gave his one and only Son, that whoever believes in him shall not perish but have eternal life." (John 3:16) THAT’S LOVE!

Denen Blog

Loving Your Neighbor 若者と老紳士

(Scroll down for English)

彼の名前はビルという。大学4年生だ。彼はボサボサの長髪に、いつも穴のあいたTシャツとぼろぼろのジーンズといういでたちだ。くつは履かず、ペラペラのぞうりをつっかけている。耳にはピアス、腕にはミッキーマウスの入れ墨がある。大学入学以来、ビルはいつもこういう格好をしていたのだ。

ビルはとても賢い学生だ。見ためにはちょっと変わってはいたが、洞察力がするどく、非常に頭がきれる。そんな彼は去年クリスチャンになった。大学のキャンパスの向かいには教会があった。教会員の年齢層はどちらかといえば高く、日曜礼拝に出席するときは皆きちんと正装している。 男性はスーツにタイ、女性は上品なワンピース。教会の建物も築50年近いという由緒あるもので、外壁には蔦がからんでいた。

あるとき、ビルはそこの教会に訪れてみた。穴のあいたTシャツにぼろぼろジーンズ、ペラペラのぞうり、といういつもの服装のビルは教会の門をくぐった。礼拝はすでに始まっている。今日の説教のテーマは「汝の隣人を愛せよ」。ビルは通路に立ってあたりを見渡し、空席を探したが礼拝堂はすでに一杯だった。

教会員たちはビルに気がつき、あまりにも場違いなそのいでたちに互いに顔をみあわせていた。ビルは人々の視線など気にせず、空席を探しながら通路を前に進んだ。ビルはついに教壇の真正面にまで来たが、どこにも空席が見当たらなかったので大学生がよくやるように、おもむろにその場に腰をおろした。教壇の真正面、通路の度真ん中、カーペットの上にである。大学の教室ではよく見る光景であるが、この教会ではかつてないことだった。人々は牧師の説教には上の空で、ビルに全視線を注いでいた。あたりにはなんともいえない緊張感が漂っていた。

そのとき、礼拝堂の後ろの方で、教会の長老の一人が席を立った。彼は80代の白髪の老紳士で、品の良い三揃いのスーツを身につけ、胸元からは懐中時計の金の鎖が下がっている。老紳士は杖をつきながらゆっくりとビルの方に向かって歩いてきた。それを見ている人々は、みな心の中で思っていた、「長老の年代の人には大学生のことなど理解できっこない。彼があの学生に何を言ったとしても仕方のないことだ。きっとあの学生は追い出されるのだろう。」

今や全ての視線が老紳士と若者に注がれていた。牧師ですらいつの間にか説教をするのをやめて二人の様子を見つめていた。会堂には張り詰めた空気が流れ、ただ紳士の杖の音だけがあたりに響いている。ゆっくりとビルの方にむかって進む老紳士。ビルも気付いて老紳士を見上げた。

老紳士はビルのところまでくるとにっこりとビルに笑いかけた。そして杖を近くの座席に立てかけ、ビルの隣にゆっくりと腰を降ろしたのだ!

「一人で座っていたら寂しいですからねぇ。私もあなたと一緒にここで礼拝しますよ。」老紳士は低い声でビルの耳元に囁いた。人々は老紳士の思いがけない行動に皆胸を打たれた。牧師はゆっくりと深呼吸してからようやく口を開いた。「私が今朝お話しした説教の内容は、恐らく皆さん忘れてしまうでしょうが、今、目の前で見たことは、きっと誰も忘れることがないでしょう。あなたの隣人を愛するとは、まさにこのようなことなのです。」


Bill is the name of this wild-hair boy. Most of his T-shirts and jeans have holes and he seldom wears shoes. This brilliant and rather eccentric college student is laid back in his approach to life. Some would say he is lazy and sloppy while others would say he is focused and undistracted by the trivial things of life.

Recently, Bill became a Christian. The Christian fellowship he is attending is very informal and the atmosphere of these meetings is similar to that of a coffee house. The format of these meetings fits right in with his informal approach to life.

Across the street from his campus is a very formal conservative church. The people there are very influential and are well dressed. Although they desire to develop a ministry to help reach the college students, their formality has been a hindrance. One day Bill decided to visit the church, so he walks in with his normal attire. Since the service had already started, many eyes turn toward him as he walks in.

The church is completely packed and since he can't find a seat in the back, he walks further down the aisle. By now people are starting to feel uncomfortable with this unconventional wild-haired person. As Bill gets closer to the pulpit, he realizes there are no seats, so he sits down on the carpet. Although this is a common practice at the college fellowship he has been attending, he doesn’t realize this is not done at this church. By now the auditorium is totally silent and people are wondering what’s going to happen next.

The door in the back of the auditorium opens and everyone’s attention is drawn to the Deacon as he makes his way toward Bill. The distinguished Deacon, in his three-piece suit, walks slowly toward the boy. Everyone understands what this elderly man is going to do. It’s an unpleasant task, but it has to be done. There has to be dignity and order in a church service. Of course, everyone is wondering how this distinguished 80-year-old man is going to be able to communicate with this kid without hurting his feelings.

It takes a long time for the old man to reach the boy. The church is utterly silent except for the clicking of the man's cane. All eyes are focused on him. The air is filled with tension and anticipation. The minister can't preach the sermon until the Deacon does what he has to do. The Deacon drops his cane on the floor and with great difficulty he lowers himself down and sits next to Bill. To everyone’s surprise, the Deacon starts worshiping God with Bill so he won't be alone. Everyone is choked emotionally. After the minister gets his emotions under control he says, "What I'm about to preach, you will never remember. What you have just seen, you will never forget. This is what loving your neighbor means."
Denen Blog

Just Checkin' In 大親友の訪問


(Scroll down for English)

ある日の昼頃、牧師は礼拝堂に誰か祈りに来ているかどうか、ちょっと覗いてみようと 思い、礼拝堂の中に入っていきました。ちょうどそのとき、扉が開き、ひとりの男がやってきました。その男の顔には無精髭が伸びているのをみると、牧師は眉をひそめました。彼のシャツは薄汚れており、上着はヨレヨレで擦り切れていました。男はひざまづき、しばらくの間、頭を垂れ、そしてすぐに立ち上がり出ていきました。 その日以来、その男は毎日正午になるときまって礼拝堂に現われました。 そして30秒ほどひざまづくのです、手には弁当箱とおぼしき袋を持って。

「強盗にでも入る隙を狙っているのだろうか?」いぶかしく思った牧師はある時ついに男を呼びとめ、尋ねました。「君、ここで一体何をしているのかい?」彼は教会からやや離れた工場で働いているのでした。30分だけの昼休みを利用して、力と元気を得るために、毎日そこに祈りに来ていたのです。

「ほんのちょっとしかいられないんですがね、なにしろおいらが働いている工場はこの教会からはちょっと離れているもんで。ここにこうしてひざまづいてね、神さんにこんな具合に祈るんでさぁ。『神さん、これが言いたくてまた来ました。あなたがおいらの罪を取り除いてくださって以来、おいらはずーっと嬉しくて仕方がないんですよ。あなたがおいらの大親友になってくださって、すごく嬉しいんです。どうやって祈ったらいいのかあんまりよくわからないんですが、とにかく神さんのこと、毎日思っていますよ。だから、イエスさん、ジムです、顔出しに来ました。』」

いらぬ疑いを持ったことを恥ずかしく思いつつ、牧師はジムにいいました。「そうですか。それは大変素晴しいことですね。これからもいつでも祈りに来て下さい。」

「さぁ、もういかなくちゃ。仕事に遅れちまったら大変だ。」ジムはにっこり笑うと大急ぎでその場を立ち去って行きました。牧師はジムがいつもするように、祭壇の前にそっとひざまづきました。こんなことをするのは初めてでした。彼の冷えていた心はときほぐされ、イエスの愛で満たされていくのがわかりました。頬を涙を伝うのもかまわず、彼は小さな声でジムの祈りを繰り返してみました。 「神様、これが言いたくてまた来ました。あなたが私の罪を取り除いてくださって以来、私はずーっと嬉しくて仕方がないのですよ。あなたが私の大親友になってくださって、すごく嬉しいのです。どうやって祈ったらいいのかあんまりよくわからないのですが、とにかく神様のこと、毎日思っています。だから、イエス様、私です、顔を出しに来ました。」

ある日の午後、牧師はまだジムがその日は来ていないことに気付きました。 そしてジムが現われない日は何日も続きました。 心配した牧師がついに工場へ行きジムのことを尋ねると、ジムは病気で入院していたのです。病院では医者や看護婦たちがジムのことを噂していました。彼には花はおろか、電話一本、カードの一通も送られてこない、見舞客も一人も来ない、それなのに、ジムはいつも笑顔で喜び一杯なのです。しかも彼の喜びは回りにいる人達にも伝染して、ジムが入院して以来、その病棟の 雰囲気が一転してしまったのです。病院にかけつけた牧師は、ベッドに横たわっているジムのかたわらに立ち、言いました。「看護婦さんたちは皆んな不思議がっていますよ。付き添いも見舞いも全然ないのに あなたがいつも嬉しそうにニコニコしているから。」

「看護婦さんたちは間違えているんでさぁ!まぁわからないのも無理はないですがね。毎日、昼になるとね、あの方が来て下さるんですよ。おいらの大親友のあの方が。牧師さんならわかるでしょう?あの方がね、ほらここ、ここんとこに座って、おいらの手を握ってね、こういうふうに言ってくれるんですよ。

『ジム、これが言いたくてまた来ましたよ。私があなたの罪を取り除いて以来、私はずーっと嬉しくて仕方がないんですよ。 私はあなたの大親友になってすごく嬉しいんです。私はあなたが祈るのを聞くのが大好きです。 とにかくあなたのこと、毎日思っていますよ。   だから、ジム、イエスです、顔を出しに来ました。』」

(百万人の福音2006年イースター号掲載)

A minister passing through his church in the middle of the day,
Decided to pause by the altar and see who had come to pray.

Just then the back door opened, a man came down the aisle,
The minister frowned as he saw the man hadn't shaved in a while.

His shirt was kinda shabby and his coat was worn and frayed.
The man knelt, he bowed his head, then rose and walked away.

In the days that followed, each noon time - came this chap,
Each time he knelt just for a moment, a lunch pail in his lap.

Well, the minister's suspicions grew, with robbery a main fear,
He decided to stop the man and ask him, "What are you doing here?"

The old man said, he worked down the road - Lunch was half an hour.
Lunchtime was his prayer time, for finding faith, strength and power.

"I stay only moments, see, the factory is so far away;
As I kneel here talking to the Lord, this is kinda what I say:

"I just came again to tell you Lord, how happy I have been,
Since we found each other's friendship and you took away my sin.

Don't know much of how to pray, but I think about you everyday.
So, Jesus, this is Jim - just checking in."

The minister feeling foolish, told Jim that was fine.
He told the man he was welcome to come and pray anytime.

"Time to go", Jim smiled, and said "thanks" as he hurried to the door.
The minister knelt at the alter, he'd never done that before.

His cold heart melted, warmed with love, and met with Jesus there.
As the tears flowed, in his heart, he repeated old Jim's prayer:

"I just came again to tell you Lord, how happy I have been,
Since we found each other's friendship and you took away my sin.

Don't know much of how to pray, but I think about you everyday.
So, Jesus, This is me - just checking in."

Past noon one day, the minister noticed that old Jim had not come.
As more days passed with no sign of Jim, he began to worry some.

At the factory, he asked about him, learning he was ill.
The hospital staff was worried, but Jim had given them a thrill.

The week that Jim was with them, he brought changes in the ward.
His smiles, a joy contagious - changed people, were his reward.

The head nurse couldn't understand why Jim was so glad,
When no flowers, calls or cards came, not a visitor he had.

The minister stayed by Jim's bed, he voiced the nurse's concern.
No friends came to show they cared, he had nowhere to turn.

Looking surprised, old Jim spoke up and with a winsome smile -
"The nurse is wrong, she couldn't know, that in here all the while,

Everyday at noon - He's here, a dear friend of mine, you see,
He sits right down, takes my hand, leans over and says to me:

"I JUST CAME AGAIN TO TELL YOU, JIM, HOW HAPPY I HAVE BEEN, SINCE WE FOUND THIS WONDERFUL FRIENDSHIP, AND I TOOK AWAY YOUR SIN. I ALWAYS LOVE TO HEAR YOU PRAY, AND I THINK ABOUT YOU EVERY DAY, AND SO JIM, THIS IS JESUS ... CHECKING IN."
Denen Blog

Tandem Ride with God 神様と自転車の旅

(Scroll down for English)

初めのうちは僕にとってイエス様って、監督者のような、裁判官のような、何だかそんな存在だった。僕が死んだ時に天国に行くが地獄にいくか決めるために、僕が何か悪いことをしたらその度にしっかりチェックをいれているような、そんな方のように思っていたんだ。なんていうのかな、大統領か天皇みたいな感じで、遠く離れたところにいて、そういう人がいるということは知っているけど、実際にはあまり関係ないっていうのか、まぁつまり、あかの他人だったんだな。

でもそのうち、人生ってまるで自転車にのって旅をしているようなものだなぁって感じるようになってさ。それも二人乗りの自転車で、僕が前、イエス様が後ろにいて僕がペダルをこぐのを助けてくれている、そんな風に思うようになったんだ。そしていつのことだったか思い出せないんだけど、ある時イエス様が座席を前と後ろで入れ替えないか?っておっしゃって、僕たちは席をとりかえたんだ。それからっていうもの、僕の人生はすっかり変わっちゃったんだよ。

僕が前にすわって主導権を握ってペダルをこいでいたときは、僕は自分がどこに行くのかよくわかっていた。たいくつといえばたいくつだったけど、次にどこへ行くのかわかってたからその意味では安心だったよ。どこへ行くにも近道ができたしね。ところがイエス様が前にすわってこぐようになってからは、大違い。イエス様って、いろんな周り道を知っててさぁ。しかも山あり谷あり、岩道あり。すごいんだよ、それが。 迫力満点さ!僕なんかイエス様にしがみついているのが精一杯。でも、「もう駄目だぁ!」というときにでも、イエス様は「さぁ、こいで!」っておっしゃるんだよ。

僕は怖いし、不安だし、心配だし、何度もイエス様に聞くんだ、「一体僕をどこへ連れて行かれるのですか?」って。でもイエス様は笑うだけで答えては下さらない。そうこうしているうちに僕はイエス様のことを信頼することを学んだんだ。 僕のたいくつだった人生は冒険旅行に変わったよ。時には怖くなることもある。でもそんな時はイエス様に「怖いです!」っていうんだ。そうするとイエス様が後ろに手を伸ばして、僕の手をぎゅっと握って下さるんだよ。

イエス様は僕をいろんな贈り物をもった人達のところへ連れていって下さった。喜びの贈り物、癒しの贈り物、愛の贈り物、許しの贈り物… 彼らは僕とイエス様の旅に持っていくようにって、いろんな素晴しい贈り物をくれたんだ。そしてもらった贈り物をもってまた旅に出る。するとイエス様はおっしゃるんだ、「もらったものは他の人にあげてしまいなさい。僕たちふたりの旅にはそんなに荷物はいらない。」だから僕はそれらの素晴しい贈り物を次に出会った人達にあげたんだ。そしたらその人達がまた新しい贈り物をくれてさ…もらってはあげ、もらってはあげの繰り返しだよ。

まぁそういうわけで、初めはイエス様のことを信用していなかったんだ。きっと僕の自転車を台なしにするんじゃないかって、疑っていた。でもイエス様の自転車さばきは最高だよ。どんな急カーブも、ものすごい下り坂も、落とし穴でも邪魔な岩でも、ちゃあんとクリアできるんだよ!僕はもうイエス様の腕を疑うことをやめた。どんなへんてこな所へ連れていかれようとも、文句をいわないでせっせと自転車のペダルをこぐことを学んだんだ。そうしたら、いつの間にか景色を楽しむゆとりが出来てきた。僕の額をなでる気持ちのいい風を楽しめるようになった。どんなときでもいつでも僕と一緒にペダルをこいでくださっているイエス様と一緒の愉しい旅だから。

そして僕が「もう絶体絶命だぁ! 今度こそ絶対駄目だぁ!」そう確信するとき、イエス様はにっこり微笑んで僕に言うんだ。

「さぁ。こいで!」          ~作者不詳

I used to think of God as my observer, my judge, keeping track of the things I did wrong, so as to know whether I merited heaven or hell when I die. He was out there, sort of like a president. I recognized His picture when I saw it, but I didn't really know Him.

But later on, when I met Jesus, it seemed as though life was rather like a bike, but it was a tandem bike, and I noticed that Jesus was in the back helping me pedal. I didn't know just when it was He suggested we change, but life has not been the same since I took the back-seat to Jesus, my Lord. He makes life exciting. When I had control, I thought I knew the way. It was rather boring, but predictable. It was the shortest distance between two points.

But when He took the lead, He knew delightful long cuts, up mountains, and through rocky places and at break-through speeds; it was all I could do to hang on! Even though it often looked like madness, He said, "Pedal!" I was worried and anxious and asked, "Where are you taking me?" He laughed and didn't answer and I started to learn to trust. I forgot my boring life and entered into adventure. And when I'd say, "I'm scared", He'd lean back and touch my hand.

He took me to people with gifts that I needed, gifts of healing, acceptance and joy. They gave me their gifts to take on my journey, our journey, my Lord's and mine. And we were off again. He said, "Give the gifts away; they're extra baggage, too much weight." So I did, to the people we met, and I found in giving I received, and still our burden was light.

I did not trust Him, at first, in control of my life. I thought He'd wreck it, but He knows bike secrets, knows how to make it bend to take sharp corners, jump to clear high rocks, fly to shorten scary passages. And I am learning to shut up and pedal in the strangest places, and I'm beginning to enjoy the view and the cool breeze on my face with my delightful constant companion, Jesus.

And when I'm sure I just can't do any more, He just smiles and says... "Pedal."

(Author unknown)

Denen Blog

Twice Mine 君は僕のもの

(Scroll down for English)

小さな船を手にもって「これは僕のものだ。僕が作ったんだ。」と言った少年は、大きな失望を味わわなければなりませんでした。ある日、少年は船を持って湖のほとりに息、澄んだ青い水の上にその船を浮かべました。その小さな船は、静かによどむ水の上に浮かびましたが、突然突風が吹いて、少年が持っていた紐を奪い去り、少しずつ遠く、最後は見えなくなるまで、その船は流れて行きました。少年は大切なものを失い、悲しみの中で家に帰りました。

数ヶ月が過ぎたある日、少年がおもちゃ屋を通り過ぎると、何かが彼の注意を惹きました。そんなはずはない、いや、本当なのか?もっと近づいて見てみました。そうです。陳列棚にあるのは、その少年の小さな船でした。あまりにも嬉しくて、少年は店の中に飛んで行き、主人に陳列されている船のことを話しました。それは本当にその少年のものでした。「悪いがね。」と店の主人は言いました。「今はもう、俺のものなんだ。君が自分のものにしたいなら、買ってもらわないとね。」少年はその店を出ました。そして、その船をもう一度取り戻す決心をしました。

ついに、その日が来ました。少年は店の中に入って、苦労して貯めたお金を計算台の上に置きました。「僕の船を買いに来たんです。」店員はお金を計算しました。そして、その船を取って少年に渡してくれました。その船を胸に抱いた少年の顔は微笑みで明るくなりました。「君は僕のものだよ。」と彼は言いました。「2回僕のものになったんだ。僕が君を作ったから僕のもの。今は僕が君を買ったから、僕のものなんだよ。」

この少年が、自分の船について抱いていた思いは、天の父なる神様があなたに対して抱いている思いと似ています。聖書には、「主が、私たちを造られた(詩篇100:3)。」と書いてあります。このみことばは、別の箇所では「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。(第1コリント6:20)」と説明されています。また別の箇所では、神様が私たちを買い取るために払った代価は「傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血(第1ペテロ1:19)」であると教えています。これらのみことばは、少年が買い取った船に向かって言った言葉のように、神様が私たちに向かって「お前はわたしのものだよ。お前は2回、わたしのものになったのだ。一度目はわたしがお前を造った時。そして2回目は、わたしがお前を買い戻した時にね。」

Our relationship with our Father God is like the story of a boy who spent many days making himself a sailboat. When the boat was finished, he took it down to the stream to see if it would sail. Proudly he walked along the river bank as his little craft glided erect on the rippling waters – its white sail curved in the summer breeze. But to his distress the ship soon headed out into the middle of the stream, too far for him to reach. Further and further it sailed until gradually it disappeared from sight. It was a heartbroken lad who returned home that evening.

Weeks later he saw his sailboat in a pawnshop window, the very boat which he had made and rigged and painted with such meticulous care! He asked the operator of the pawnshop if he could have the boat back, but his heart sank when the man replied: “Only if you pay the price that is marked on its tag.”

For weeks the lad worked to earn the price of the boat. Finally, with money in hand he returned to the shop, placed the money on the counter, and said, “Please, Sir, I'd like to have my boat.” As he left the store with the boat in hand, he looked at it with the feeling of pride, joy, and affection which little boys lavish on the creations of their own hands, and said: “You're mine, little boat, mine twice-over. Once because I made you. Twice because I bought you.”

Like most analogies go, the story is imperfect – but the way that little boy felt about his boat is similar to the way God feels about you and me. The Bible tells us: “It is He who made us, and we are His” (Ps.100:3). It tells us further: “You were bought with a price” (1Co.6:20). And it even tells us the price that was paid to buy us back: “You were redeemed with the precious blood of Christ” (1Pt.1:19). It is as if He says to us much like the boy said to his boat: “You are mine, little one. You're mine twice over. Once because I made you; twice because I bought you.”
Denen Blog

Footprints 足跡

「あなたの神、主が、あなたを抱かれた」申命1:31
(Scroll down for English)

ある晩、男が夢をみた。夢の中で彼は、神と並んで浜辺を歩いていた。そして空の向こうには、彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。どの場面でも、砂の上にはふたりの足跡が残されていた。ひとつは彼自身のもの、もうひとつは神のものだった。

人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていくと、彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺めた。すると彼の人生の道程には、ひとりの足跡しか残っていない場所が、いくつもあるのだった。しかもそれは、彼の人生の中でも特につらく、悲しいときに起きているのだった。

すっかり悩んでしまった彼は、神にそのことをたずねてみた。「神よ、私があなたに従って生きると決めたとき、あなたはずっと私とともに歩いてくださるとおっしゃられた。しかし、私の人生のもっとも困難なときには、いつもひとりの足跡しか残っていないではありませんか。私が一番あなたを必要としたときに、なぜあなたは私を見捨てられたのですか」

神は答えられた。「わが子よ。私の大切な子どもよ。私はあなたを愛している。私はあなたを見捨てはしない。あなたの試練と苦しみのときに、ひとりの足跡しか残されていないのは、その時は、私があなたを背負って歩いていたのだ。」 

~作者不詳

One night a man had a dream. He dreamed He was walking along the beach with the LORD. Across the sky flashed scenes from His life. For each scene He noticed two sets of footprints in the sand. One belonging to Him and the other to the LORD.

When the last scene of His life flashed before Him, he looked back at the footprints in the sand. He noticed that many times along the path of His life there was only one set of footprints. He also noticed that it happened at the very lowest and saddest times of His life.

This really bothered Him and He questioned the LORD about it. LORD you said that once I decided to follow you, you'd walk with me all the way. But I have noticed that during the most troublesome times in my life there is only one set of footprints. I don't understand why when I needed you most you would leave me.

The LORD replied, my precious, precious child, I love you and would never leave you! During your times of trial when you see only one set of footprints, it was then that I carried you.

- Author Unknown
Denen Blog

The Pianist ある美術収集家の話し

(Scroll down for English)

あるとき、ピアノを習っている息子によい刺激を与えようと、母親が息子をペデルスキーというピアニストのコンサートへ連れて行った。ホールに入ると母親は自分の友人がそのコンサートに来ていることに気付いたので、その友人に声をかけるため座席に息子を残して席を立った。

一人残された子供はコンサートホールを探索すべく座席を離れ、「関係者以外立ち入り禁止」の貼り紙のあるドアを開けて中へ入って行ってしまった。会場のライトが薄暗くなり、そろそろコンサートが始まるという時になり、座席に戻った母親は息子がいなくなっていることに気付いた。 あわてる母親をよそにカーテンは開き、ステージの上のグランドピアノにはスポットライトが当てらた。恐怖におののいた母親が見たものは、ピアノの前にすわって無邪気に「キラキラ星」を弾いている小さな息子の姿だった。

ちょうどそのとき、ペデルスキーが舞台に現われた。彼はすばやくピアノに近づくと、その少年の耳元にささやいた。「やめないで。そのまま続けるんだよ。」 そして少年の後ろから左手を回し、少年の演奏に会わせて、ベースのパートを弾き始めたのだった。さらに右側にも手をまわし、素早い指の動きの高音のパートを併せた。 少年のつたない演奏にこの偉大なるピアニストの演奏が加わって、聴衆はどんなコンサートでもかつて聞いたことのないような素晴しい音楽にただただ魅了されるだけだった。このピアニストと幼い少年は、ともすればとんでもない惨事になりかねなかったこの状況を、素晴しく美しい創造的な場面へと造り変えたのである。

私たちが今おかれている状況がどんなものだとしても、どんなに滅茶苦茶で、どんなに絶望的で、どんなに霊的に枯渇し心が暗くうちひしがれていたとしても、神様は私たちの心の奥底でささやいていて下さっているのだ。「やめないで。そのまま続けるんだよ。あなたは一人ではないんだ。わたしたちは一緒に、このボロボロの状況をわたしの美しい傑作へと造り変えることができるのだ。一緒にわたしたちの平和の歌で、この世を魅了することができるのだよ。」

~作者不詳

Ignace Jan Paderewski, the famous composer-pianist, was scheduled to perform at a great concert hall in America. It was an evening to remember - black tuxedos and long evening dresses, a high-society extravaganza. Present in the audience that evening was a mother with her fidgety nine-year-old son. Weary of waiting, he squirmed constantly in his seat. His mother was in hopes that her son would be encouraged to practice the piano if he could just hear the immortal Paderewski at the keyboard. So - against his wishes - he had come.

As she turned to talk with friends, her son could stay seated no longer. He slipped away from her side, strangely drawn to the ebony concert grand Steinway and its leather tufted stool on the huge stage flooded with blinding lights. Without much notice from the sophisticated audience, the boy sat down at the stool, staring wide-eyed at the black and white keys. He placed his small, trembling fingers in the right location and began to play "Twinkle, Twinkle Little Star." The roar of the crowd was hushed and hundreds of frowning faces pointed in his direction. Irritated and embarrassed, they began to shout: "Get that boy away from there!" "Who'd bring a kid that young in here?" "Somebody stop him!"

Backstage, the master overheard the sounds out front and quickly put together in his mind what was happening. Hurriedly, he grabbed his coat and rushed toward the stage. Without one word of announcement he stooped over behind the boy, reached around both sides, and began to improvise a countermelody to harmonize with and enhance "Twinkle, Twinkle Little Star." As the two of them played together, Paderewski kept whispering in the boy's ear: "Keep going. Don't quit. Keep on playing...don't stop...don't quit."

And so it is with us. We hammer away on our project, which seems about as significant as "Twinkle Twinkle" in a concert hall. And about the time we are ready to give up, along comes the Master. God whispers: "Now keep going; don't quit. Keep on...don't stop; don't quit" as He improvises on our behalf, providing just the right touch at just the right moment.

~Anonymous
Denen Blog
    ⇒ これより過去のポストを見る...